問われているのは日本の科学技術の質かもしれない
このエントリーは刺激があります。報道やネット情報を観ることがストレスになっている人には、いまは読むことを、お勧め出来ません。ご注意下さい。
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このエントリー読むと、なんだか論文出てるほど、あてになる、という考えを持っていると受け取る人も居るかも知れないですが、そういうことではないです、、、
- 公のメディアに出す汚染の専門情報には人の人生がかかっています
- 始めに:いわゆる「学術論文」ってなんだろう? 学術論文が世に出るまで
- 話題の人の研究業績を見てみる
- 工学の分野としての研究能力は
- 弾圧されて昇進出来ない?
- 検証されない科学が一人歩きすることは危険です
公のメディアに出す汚染の専門情報には人の人生がかかっています
小出裕章助教(京大原子炉実験所)という人が、いま、注目を集めています。福島原発事故に関し、色々な発言をして、とくに、近隣地域について早くも「人が住めない」という評価をしました。
ある場所を「住めない」と「専門家」が評価することの重大性がお分かりでしょうか? それが専門家の見解であり、ラジオなどの伝統的なメディアに乗るということは非常に影響力を持ちます。
専門家が「住めない」と宣言すると
影響力のある専門家が「住めない」と宣言すると、そこが住めないかどうかは別問題に、下記のようなことが起こります。
- そこは多くが私有地であり、住民生活のコミュニティの土台である。例えどのような危険な地域であっても国が強制収用でもしない限り、法律上はいずれ、元そこに居た、住みたい人は住める
- 土壌の放射性物質汚染は科学的事実として、エビデンスが得られるかもしれないが、一方で「ひまわりプロジェクト(別タブで開きます)」のような、草の根で技術的な土壌改質が試みられている。この結果を待つことなく、別の科学者が無視して頭越しに「住めない」と評価することの科学的な根拠
- 仮に、住むのに適さない土地だと住民が判断し、去ろうとした時、先に「住めない」宣言をされた土地は、地価が暴落し、売るに売れない
- 自分の郷である以上、自分の意思で住む住民はでても不思議は無い。このとき、専門家が科学的に「住めない」と評価した土地に、一般の人が住む事に対し、「無知」という批判、さらには、子供との間でどういうコンセンサスがあったかに関わらず子供を側に居させる親に「ひどい親だ」と非難が集まる
- その「住めない」と宣言された土地から逃げてきた人に対して、風評差別が起こる(現に、受け入れ拒否など起こった)
このため、普段「専門家」が出す犠牲を伴う専門的な情報は重大な責任が発生します。専門家であると扱われた上での公の場での言説なので、上記のような住んでいる人々が犠牲を払っても、そのようにすべきものなのかどうか、それは大事じゃないでしょうか。
ぼくは、科学者が極めて慎重にならなければいけない「人々の人生への介入」にとても大胆であることに、驚いています。
始めに:いわゆる「学術論文」ってなんだろう? 学術論文が世に出るまで
研究者って何をする人だと、普通は考えられていますか? 何かを調べて、こつこつと、世の中の謎を解いて、明らかにする、これが研究者のように見えます。
しかし、自然科学の研究者同士の世界では、これだけでは、研究者とは言わないのです。これは「独自研究」というもので、ありていに申せば「好きにするがよろし」というものです。無保証を鵜呑みにしてもいいならどうぞ、というものです。
なぜ独自研究をする人を研究者とみなさないか、ですが、理由は、本人だけで、他の科学者の検証を受けていないからです。この、他の科学者の検証を受けるということが、科学者の科学者としての健康には、欠かせません。やっていないと、歪むのです。歪みかたは様々におよび、最新のその分野の知見から取り残される、何かの測定で測定ミスの癖があっても直らない、得たデータを客観的に見ることができなくなる……どれも、科学的であろうとすると、自分で怖くなることばかりですね。
では、ある科学者が他の科学者の科学的な検証を受ける方法には何があるかというと、色々あるでしょう。一つは「査読有り原著論文(オリジナルペーパー)」です。(技術者なら、また他の評価軸もありますよ。モノができたか、何かが直ったか、という目に見える「結果」などですね)
査読有り論文は、学術誌に、査読という審査を受けた上でパスして掲載された論文です。この過程で、論文の内容が種々の検証を受けることになるので、オリジナルはオリジナルでも、客観的に第三者もオリジナルだと認める堅牢性を持っている、一つの表れになります。
よく、このような科学論文が報道で取り上げられます。無料で読める論文は最近なら検索でネット上で読むこともできます。
さて、では、ぼくが、ここで新しい研究テーマを思いついて、なんとか研究費を得て、実験したり計算したりして、新しい研究結果をまとめたとします。これは、研究をしたといえるでしょうか? いいえ、さきに書いたように、これは研究したとはいえないです。
検証を受けたものとして研究結果を公開するには学術論文を生み出さなければなりません。
ぼくはITとも映像とも関係無い仕事ですが、3D映像技術について何かのテーマをやって、まとめたとします。それをどうしましょう? 「三次元映像のフォーラム」という学会があるようなので、そこの学術誌に投稿してみるとします。なんか、頼りなさげな学会名ですが、この世界はよく分からない。
「三次元映像のフォーラム」が出版している学会誌「3D映像」の投稿規定はこちら(別タブで開きます)です。
ここ、結構厳しいですね。原著論文しか扱わない雑誌です。普通は、レビュー(総説)や技術紹介など、色々な種類の査読の要らない投稿を受け付けるものですが。原著論文のみで、ページ数に応じて「論文」と「ショートペーパー」の二つのカテゴリーで投稿です。
- 原著論文の条件
- 原著論文の主文章は日本語または英語であること
- 内容は未公表のものとすること。ただし、研究会、学会講演会、国際会議などにおいて口頭発表した内容を投稿したものは発表後でも原著論文として扱う
- 掲載決定
- 論文掲載の可否は複数人による査読を経て査読委員会で決定する。
- 査読の方針・査読においては、以下の点を中心に判定する。
- 三次元映像の分野においる新規性や創造性が認められる。
- 裏付けのある技術情報が盛り込まれ、有効性、有用性が認められる。
- 先行研究が調査され、必要な参考文献が挙げられ、参照されている。
- 論文掲載の可否は複数人による査読を経て査読委員会で決定する。
- 論文の位置付けが明確に示されている。
これは、だいたい標準的な学術論文の規程ですね。ただ、このような審査を一回だけやって「合格・不合格」と決めるわけではないです。上記に照らして通らない点を指摘して、補足するか修正するよう差し戻しがあります。ここで、科学的には合理的なのに、何か政治的な思惑で圧力をかけるようなことができるかというと、それは無理ですね。そういう論文が掲載されてしまうと、それは誰でも読めるので、胡散臭いブラックな面のある学会と分かってしまいます。雑誌の価値は落ちるわ、所属会員は離脱するわ、雑誌の自滅に繋がります。
こうやって、掲載されたものが俗に「査読有り論文」と呼び、こういうものを出したのなら、そこで、その研究者はその題材で一つ検証されたということになります。
ちなみに「学術論文の査読は、その分野の権威が乗り出してくるから、甘くて偏る」という、不思議な誤解があるようですが、それはちょっと無理じゃないでしょうか??
まず、誰が査読したか、著者には雑誌に載った後でも分からないです。
また逆に、自分に査読依頼が来て、論文投稿者の筆頭著者が「権威」とか「重鎮」であっても、こっちの名前は伏せたままで、ギチギチと理詰めで何ヶ月でもイビれるのです。科学的な議論の余地が残る限り、どんだけネチネチしつこく質問書を送り続けてもアリなんです。
ただし、編集に切られている期限はあるのでそこに至っても「この論文はまだ納得できない」と判断したら、不許可の見解を付けて、編集に返せます。そういう論文をどうするかは、学会によりけりですが、査読者の一人がOK出してないのに、掲載してしまうような雑誌だと、やはり、人が去って「死に学会化」しますね……。
博士号はあげたい人に自由にあげられるのか?
博士号(Ph.D, Doctor of Philosophy, 分野に寄らず慣習的に『哲学の博士』という呼称になってますね。不思議ですが)は欲しいといったらもらえるものなのですかね? まあ、外国の怪しげな大学でWeb上でお金を払うだけで手に入るPh.Dが授与されるところもあるみたいですが、普通はそうはいかないです。
甘いところもあるのですが、標準的なところだと、こんな感じですかね。早稲田大学経済学博士号の審査基準(別タブで開きます)の例で見てみます。
これは俗に言う課程博士で大学のドクターコースに籍を置いて取得する場合ですね。この他に、外部から論文を申請する論文博士や社会人博士課程という別の課程を置いて、そこに一時在籍して取得するなど、色々あります。
早稲田大学経済学博士号の例
- 課程博士学位請求論文は、次のような要件を満たす業績から構成されているものとする
- 論文で用いられる言語は日本語または英語とする
- 査読雑誌公刊論文3本以上
細かいのは省きましたが、最低限のラインは上記です。和文か英文で書かれていて、その各章が、既に検証を受けている査読有り雑誌掲載論文で裏付けられていること(この場合は最低でも3章構成以上にせよ、という意味かな?)……だいたい、これが最低条件でしょうね。ただ、中には、国際誌掲載1本でも何とかなる大学もあるみたいですが。
つまり、ひいきして博士号を上げたいと、ある教授が思ったとしても、その人が査読有り論文をほとんど出していなければ、取り繕いようがなく、強引に他の教授を買収してまでやったとしても、授与まで持っていくのは不可能です。
話題の人の研究業績を見てみる
誤解無きよう、申し上げますが、論文の本数があるから優れているとか、そういう問題では無いです。ただ、結果として、査読論文を書いて、査読をなんとか通して雑誌に載せる、という作業をやっていないと、自分の質がどんどん落ちていくので怖くて、論文を書かずにいられないのが研究者です。ただでさえ、自分を信用できないのに、知らない間に、どんどんとずれていってないか、測定の技術が落ちてないか、データを分析する考察力のキレが落ちてないか……いつも不安になります。
さて、当の御本人は京大のスタッフとのことです。こちら(別タブで開きます)に研究者論文データベースがありますね。(2011/5/5段階)
まず「大学・研究所等紀要」という種類の資料は、内部文書で、普通はこれは研究業績にはカウントしません。内輪でどういう過程で載せているか外部には分からないからですね。京大の中でやられたら、京大関係者しか事情が分からないので、たとえ京大といえども、そこは科学的な検証という点でエビデンスレベルは全く期待出来ないです。
「技術と人間」は出版社「技術と人間」が出していた雑誌なんですが、これは、普通、学術雑誌とは扱わないです。学術雑誌は何かの学会があって、その産物として出てくるものです。学会では、科学者が所属して学会活動を行い、さらに互いに客観的に検証し合いながら論文を雑誌に載せる、というプロセスが普通はあるんです。
この「技術と人間」は、その種の客観性がなくて、投稿するとほぼ載ってしまう分、評価対象にはならないので、世の大勢に科学的なカウンター情報を出そうとする人でも、ここには投稿したがらなかった雑誌ですね。そして2005年に休刊になってます。
ものを取り寄せれば、内容から、査読を受けた論文かどうか、もう少しチェックできるのですが、複写申し込みしないと入手できない……お金がかかるのでやめておきます。何ともいえないです。
岩波が出している「科学」は、学術雑誌なんですかね。一般向けなので普通ここに載せたものは業績としては扱われないです。載せようと思っても、投稿規定が公開されていない……。
「公害研究」は、岩波が出している学術雑誌ですが、エビデンスレベルでは高い方ではありません。ただ、ここに原著論文として載るなら、恐らく査読を受けているはずだと思います。
「原子力開発と地球環境問題」(公害研究 19/3, pp.20-26 1990)はこちら(別タブで開きます)によると特集記事なので、査読論文ではないでしょうね。編集部が誤字脱字をチェックするくらいだと思います。
「チェルノブィル原子力発電所事故の教訓 」(公害研究 16/2, pp.37-46 1986)はこちら(別タブで開きます)によると「鼎談」……これは査読論文ではないでしょう
「保健と物理」は、現在、保健物理学会が出している「保健物理」誌の前身ですかね。投稿規定はこちら(PDF, 別タブで開きます)にあるとおり、論文ならそれに沿った体裁になっていなければいけないし、他の科学者の標準的な査読を受けたものであるはずです。
「保健物理学と原子力防災 」(保健物理 35/1, 36-38 2000)はこちら(PDF, 別タブで開きます)で読めます。学術論文として文章の各所に問題が見られますが、それ以前に、引用文献が全くありません。これは査読有り論文であるはずはないですね。だいたい「特集」が付いたら、査読はほとんどされてないのが普通です。
「原子力発電所の安全管理」(金属 第73巻、4号、43-48頁/, 2005)はリンクが別人の論文になっています。また、「金属」は日本金属学会誌のバックナンバー(別タブで開きます)を見ると、2005年は44巻になるので、どのみち、日本語記載も理解に苦しみます。いずれにせよ、本人の書いたものではないです。
ということで、リストにある限り、普通の研究者の世界で業績とされる査読有り論文が、まったく見当たりません。
これは、ある意味驚異的なことで、国立大学が独立行政法人化されて以降、3年ごとの業績見直しがあるので、成果がゼロで研究職に居られる、というのが、規模の小さな国立大学であっても考えにくく、ある意味京大の七不思議だと思います。どうして、これで無事でいられるのか、ちょっと理解できません。何か、しかけがあるのかな……
さて、これだけ年数食ってるのに論文ゼロということは、単純に業績が有る無しだけではなく、例えば、測定技術一つ取っても、検証を受けていないので、測ったものがきちんとしているかどうか、自分でも分からない不安な状態なんですが。
このままだとすると、もしも博士号をあげたいと周りが動いたとしても、研究者としての仕事をしてないので、博士にしようがない、ということになると思います。
工学の分野としての研究能力は
工学技術では、研究業績ももちろん重要ですが、別の評価軸もあります。結果が出るかどうかですね。
そういう観点で見た時にも首をかしげることが多いです。例えば六カ所で事故が起こった時の飛散予測(別タブで開きます)の最後の図は、かなり非科学的です。
これだと、真空中を放射性物質が拡散現象だけで東京辺りまで同心円で到達することになり、あり得ない事ですし、被害の予測の役にも立ちません。簡便なモデルで良いから、粗いグリッドであっても二次元流体計算をやるのが普通で、計算機の能力が貧弱だった1970年代でも既に端緒がついていたことです。
つまり、現代ではこのような広範囲の飛散予測では、流体計算(空気の流れの計算)を必ず行う必要があります。こちらも相当ボロが見られて、かなりザルなシミュレーションですがドイツ気象庁の予想の例(別タブで開きます)でも、飛散というのは、大気の流れで蛇のようにうねりながら起こることは、もう有名ですね。同心円は科学的にはかなり稚拙なモデルで、普通は、やらないです。
どこの国でもいいから原子力と無関係な地球大気汚染関係の国際学会で同心円を見せてみたら良いと思います。ぼくは、その後の質疑応答で、会場全体からどんな仕打ちを受けるか恐ろしいし、その時のチェアマン(座長)が、どう突然の大混乱を収拾するか、気の毒なこともあり、その場には居たくないです……
このエントリーで書いたような他流試合を全くやってない(というか、同僚の今中氏のレポートも読んでない可能性が……)とどういうことになるかという一例が、こちらの「地球一周」解釈だと思います。事実なら、定点測定だけで大気中物質の地球周回を評価できる画期的な測定テクニックなので、ぜひ国際的な場で、広めて欲しいと思います
弾圧されて昇進出来ない?
反体制的な立場なので昇進出来ない、という声もありますが、大学のスタッフというのは論文がキモなので、ここで成果が出ていないのに助教(むかしの助手)の状態で、ずっと京大に在籍出来る方が、さすが京大!と感じます。ちなみに「助教授」という職制は廃止され、細かい定義は違うらしいですが、いまは同格のポストが准教授です。
さて京大大学院工学研究科原子炉実験所の放射性廃棄物安全管理工学研究分野のスタッフはこちら(別タブで開きます)で、教授の他が助教(昔は助手という呼称でした)が3人ですね
この上の准教授(昔は助教授という呼称)のポストをなぜ置かないのかは、内部事情が分からないですが、基本的に准教授のポストを決める時は公募による平等な競争原理のもとで決定する原則があり、うかつにポストを開いて募集出来ない状況ではないかと推測します。
というのは、国立大学の准教授のポストだと、公募の条件がふつう、この京大の生存圏研究所の准教授公募の例(別タブで開きます)のようになって、外部から条件に合う人が応募してきたら、内部の助教がそれに伍する業績でないと、勝てないからですね。
●京大の生存圏研究所の准教授公募の例
- 応募資格
- 博士の学位を有する者。国籍は問いませんが、日常的に日本語が使えることが望ましい
- 応募書類(主なものだけ)
- 研究業績リスト(原著論文、著書、総説、取得特許、その他)。なお、主要な研究業績10件以内に○印をつけること
- すべての原著論文、および重要な著書、総説、取得特許の別刷またはコピー(執筆部分)
応募資格から博士号を外したとしても、業績の所で原著論文が一定数問われているので、ここで査読有り論文を10本も15本も持っている人が来られたら、それを外して業績の少ない人を選ぶだけの相当な理由が必要になります。普通は大逆転はないですね。
さらに日本には、博士号を持っていて、任期付きで働いている若いポスドクの人がたくさんいて、期限が切れたら就職先を求めて海外に流出したりしているのです。次の期限切れに備えて論文をたくさん書いて頑張っています。そこへ持ってきて京大の准教授が公募になったら、研究者の金看板、ゴールドエンブレムです。反原発だろうがなんだろうが、宗旨替えして応募してきますよ。
普通に考えると、こういう不自然な長期空席は、組織内の、その下のスタッフの地位を守るために、色々な李油を付けて公募しないということが多いです。公募しちゃうと、内部の助教がこれでは、業績がまったくないために、このポストに上がれないで、外から来た人に取られちゃうわけです。
むしろ保護されているわけで、ずいぶんと優遇されているなぁと感じます。こうはいかないですよ。
研究費もたとえばこちら(別タブで開きます)で科研費報告会をした様子が載っていますので、科研費に応募してちゃんと通ってるようですし、予算的に弾圧されている様子もないようですね。科研費、応募して通らなかった話はざらにありますから。
検証されない科学が一人歩きすることは危険です
日本の科学技術の研究開発の現場は、あまり一般には知られていないです。ただ、科学のスタンダードに基づいて非常に厳密な裏付けがなされてきたので、日本が世界から評価される技術立国であることは確かです。別に、脱原発を指向する科学者は他にも沢山居るし、世界にもそういう研究者はいます。
ただ、科学技術の立場で、本当にそれが危険なものであると確信したなら「どうせ捨てるなら東京に」とは絶対に言えないはずです。自分が確信のある害について、被る人を選ぶというのは、科学者としての倫理を逸脱する思考なのです。
土壌汚染現地調査に、なぜ、原子炉事故の人ばかりで、専門家のはずの土肥学会の研究者が入っていなかったのか、など、不思議なことが起こっています。
とぅげったーで別の角度から検証(別タブで開きます)もされています。これは一般の人がどう見るかということなので、それはそれで見方はあると思いますが、科学技術の観点から見ると、このエントリーで書いたような疑義が残ります。
専門家もまた、ちょくちょくミスを犯すものです。だから、互いにチェックし合うのです。
とくに、人々の人生を左右するようなことは、慎重に複数で検証を重ねた専門情報が提供されるべきだと思います。
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コメント
原子力学会で反原発の論文を出したとして、それが無記名でも査読が通るような学会だと思いますか?
投稿: | 2011年5月10日 (火) 19時42分
5/10 19:42 さま
コメントをありがとうございます。
氏が原子力学会で論文をだすつもりがあるのかは分からないですが、過去の年会のプログラムを見ると、格納容器の破壊や炉心損傷に関する研究も発表されています。反原発の論文と言っても、社会学ではなく工学なのですから、事故でおこることについてこのように工学的に解析した論文を投稿することは出来ると思います。
ただ、それで、中々通らないという事はあるかもしれません。しかし、原子力学会だけが、そういう論文の発表の場では無いと思います。実際に、世界には反核、反原発のProfがたくさんいるのですから。
また、研究者をやっていて、いろいろなカベでなかなか正攻法で成果がでない、というのは、ごく普通のことです。その中で、論文を通して、業績を出していくのが、研究者だとおもいます。
少なくとも、氏の所属する保健物理では、JCO臨界事故の特集記事を掲載したのですから、同誌で査読有り論文を投稿することはできるはずです。
それもしていない、ということだとおもいます。
投稿: 一色靖 | 2011年5月11日 (水) 18時10分
論文の審査についてのお話はまことにごもっともなのですが、実際にはそれほど立派でもないことはご存じだと思います。インチキな論文が一流誌に掲載されることも、すぐれた論文が落とされることもあります。流行をうまく追って一見凄そうな論文にまとめるのが得意だけど、プロ中のプロがみれば中身はすっからかんという人もいます。捏造データにもとづく論文も当然あります。重箱のすみをつついただけの論文も多々あります。というか、確実に論文にするという意味では、重箱のすみをつつくのがよく、別のやり方を提案するなんていうのは危ない(どこかに反駁できるところが残るので、査読者がそこを言い立てれば通らない)。そして、まともに審査をしている一流誌に掲載された論文であっても、世の中になんの影響も実際にはもたらさないものが数多くあります。そう、「背信の科学者」なんていう本もありますね。
学位もそう立派ですかね?二流のジャーナルに適当な論文をいくつか書き、主査一人にうんと言ってもらえれば、それで学位は取れるでしょう。共同研究者の功績でとった人なんていいう人もいるようですね。公募ですが、紀要一通の内部候補者に一流ジャーナル数十通の外部候補者が負けたという話を本人から聞いたことがあります。さすがに教授会で否決されたそうですが、ここまでひどくなければ、通ってしまう例はあると思います。
小出先生が立派な研究者とは言い難いとは実は私も思います。しかし、それでも彼の功績は大きい。福島の事故はぜんぜん大したことがなく、すぐに片付くという話しかなかったとき、彼だけが大変だと言った。そして、(東電のデータが誤っていたときの再臨界の指摘をのぞき)だいたい彼の言った通りに福島の原子炉はなっていると理解しています。それに比べたら、原子力安全委員会、保安院、東電、政府の言うことは何ですか? 原発マンセーである原子力工学の教授たちは曲学阿世の徒と言われても仕方がないでしょう。原子力工学の人でありながら、それに抵抗し続けたというだけで、小出先生は立派だと思います。
投稿: M | 2011年5月12日 (木) 18時23分
Mさま、コメントをありがとうございます。
立派かどうかは、僕は分からないし、あまり意味を感じないのです。
その意味で、東大だろうと保安員だろうと、相対的にどちらが、どう、ということを問題にしているのでもありません。
小出氏は、自然に、とても多くの人に支持されているわけです。
問題は、どのような論調であれ、科学や技術が、検証されない、あるいは他者の検証を求めないことの危険性なんですよね。
論文の本数が多いから価値があるというようには思いません。ただ、論文を書いていないということは、それだけ、検証を受けた頻度が低いということです。
このエントリーの冒頭に書いたように、住民が生計をたて、生きる基盤となるコミュニティの場である「土地」が、住めない、とオーソライズされることは、非常に重大なことです。それで、多くの人の人生が左右されます。
まして、土壌改質技術を持つ色々な分野の科学者、技術者が、住めないかどうかは改質に取り組んでみてからでなければ、言えないと考えています。
それを敢えて押して、住めないと断ずるだけのエビデンスレベルがどの程度あるのかは、検証される必要があると思います。住める、住めない、という、住環境の客観的な評価について、これまで科学的な評価をし、その評価が他の科学者に検証された実績があるなら、それなりの「住めない」根拠になると思います。
僕は、小出氏の科学者としての問題点として、自分の測定したデータやアセスメントに疑いを持たなすぎるきらいがあると思っています。他者に検証してもらい、精度、確度についてより堅牢性を持たせようとする姿勢が見られないのです。
そういう科学が、多数から信頼されることの怖さを感じています。多くが支持する中で、そういう目があったほうが、むしろ、いいのではないでしょうか。それだけです。
投稿: 一色靖 | 2011年5月12日 (木) 20時11分
小出先生の言うことを無批判に受け入れてはいけないでしょう。このブログのようにきちんと批判をするのはもちろん良いことだと思います。
しかし、小出先生は、権威に対する蟷螂の斧ぐらいの地位だと思いますよ。よりよいデータを出す余地はいくらでもあるのでしょうから、いずれは新たな権威が登場するのでしょう。
原子力工学の人たち(推進派)からきちんとした反論は行われますかね?
投稿: M | 2011年5月12日 (木) 21時23分
Mさま、コメントをありがとうございます。以下、長くなることをお許し下さい。あとで推敲して、もう少し簡潔なお返事に整理するかも知れません。
小出氏ご本人が実質的にどうか、とは、離れて、いまの世の風潮は結果として小出氏の述べることのほとんどを是としているように、ぼくには見えます。
それにも危うさを感じています。
原発が「悪」であり、それはエネルギーとは別のところにある目的や動機付けによってこれまで運転されてきていて、それを支えてきた人々=推進派、という、分かり易い構図にして、なにがなんでも一刻も早く全部停めなければならない、というのは、現実に即しているとは言い難いのです。
小出氏の数々の主張は「悪」への反対なので、どれも正しいか、これまた下手をすると、正義である、と考える空気は、奇妙に感じます。
被ばくや発がんも、小出氏が警鐘をならすから、被ばくがとてつもなく起こっていて、将来とてつもなくがん死者が出る、海外の反核団体や立場を同じ科学者もそう言っているから、ますます違いないだろう……こうなっているように感じています。
結局、停めなければならない理由も、小出氏が教えてくれる恐ろしい将来被害があるから、と、原発事故のアセスメントから医学的な見解まで、情報源がとても少なくなっているのは、科学者を信頼しすぎていて、怖いのです。
設備ごとに外部への透明性を持った客観的な徹底検査をして、リスクのグレード分けをし、停める緊急性について個別に検討していく、というのが、安全管理の観点からみた、まともな複合技術の縮小のさせかただと思っています。
エネルギー技術に関わったことのある技術畑の人々は、必ずしも推進・反対というような単純な二つに分かれている訳ではありません。むしろ原子力関係者たちの内戦みたいなもの、とみる研究者や技術者の方が多いと思います。
世の技術屋がことごとく推進派と考える人までいるようです。もし研究や技術開発にからんでいて、原発が絶対に良いから、原発でいく、というような単純な考え方をしているようでは、原発云々以前に、工学について不勉強を咎められると思います。
小出氏もまた、原子力を使うことは悪いこと、というところから出発しているせいなのか、この数十年の工業技術新聞等の資料や各種エネルギー研究の動静に目を通していないのではないかと疑いたくなるような、無理のあることを述べています。
これらのどれもが、小出氏が言うのだから正しいのだ、と受け取る人々が多く、それも危ういと感じています。
原発がいまの電力供給の比率を占めるに至った経緯はどうであれ、発電していることは現実だと思います。これを停めるために、いますぐ原発を全廃しても停電になる心配は無い、という説明をよくしています。
この説明には、意識しているのか無意識なのかは分かりませんが、いくつものトリッキーな部分があります。
例えば、火力の稼働率を上げれば、まかなえるというのも、火力発電設備についてかなりの誤解をしていると思います。大量の化石燃料を日本に持ち込んで、それで発電だけおこなって、汚いものが出ないはずがありません。稼働率を抑えて、それでも廃棄物が出て居ます。それに触れないのは極めて不自然です。
自然(ということになっている)エネルギーについても、かなり省略しているか伏せているか、首をかしげる説明が多いです。
エネルギー消費も人々の頭の中の発想の切り替えだけで低消費に向かえるように説明するのも、かなり無理があります。エネルギー消費を減らすと高生命リスク(病院の電気が足りなくなる、というような簡単なことではないです)社会に向かうことになるでしょうね。
現実には、単純なシーソーではないのに、シーソーとして原発の非と、他の技術の利点だけで、急速な脱原発を押し切ろうというのは、別な健康リスク(過激な言い方になりますが「別な死に方」と見ることもできるでしょう)を選び直していることになるのに、それは提示せず、原発はだめだ、危険だ、とやるから、脱原発はなかなかうまくいかないと、ぼくは思っています。
ぼくは原発推進でもなんでもなく、ただ、実のある脱原発は、少なくともああではないとは感じます。
きちんと生命安全も含めた科学技術の俎上に乗せて議論はできるはずなのです。原子力技術やそれに反対する人だけが、科学者・技術者ではないのですから。そういうところでの検証はしたり、されたくない、というように見えてしかたがありません。
放射能汚染が専門なら、少なくとも「測ったら出ました。もうみなさんダメです」では仕事とはいえないとおもいます。もしかして、停めたいから、それ以上のアセスメントや対策についてやろうともしないのでは?といううがった見方もしてしまいます。
この次のエントリーの「3/15大量被ばく説への疑問」も、人々に恐怖を与えるばかりで、好要素についての分析が全く欠落しているように感じ、記事をたてています。
投稿: 一色靖 | 2011年5月12日 (木) 23時32分
学歴、経歴で言い分を差別してるようにしか見えません。
>好要素についての分析が全く欠落しているように感じ、
放射能が外部環境に放出され、東日本の人間があまねく被曝する環境に置かれている。好要素などないでしょう。
>ぼくは、科学者が極めて慎重にならなければいけない
>「人々の人生への介入」にとても大胆であることに、驚いています。
これはあなたもいっしょです。安全だ、内部被曝もたいした影響はないと、素人であるあなたがうだうだ書いているのではないですか。
内部被曝はたいした影響がないという貴殿の説を信じて、もしも住み続けることで住民に影響があったらどうするのですか?
専門でないからあなたの意見は無視してよい?
それとも「人々への人生に介入するかもしれない責任をおって」書いている?
あなたのいっていることは単なる言いがかりでしかないと思います。
自分のいっていることに責任をもつなら、自分と自分の子供で放射性セシウムを吸い込んで内部被曝した上で語ってみては。
そうでもしないとあなたの説の信憑性は皆無です。
投稿: | 2011年6月14日 (火) 06時22分
「買っちゃるの巻」シリーズで関東産品、家族で散々美味しく頂いています。放射性セシウムも取り込んだでしょうね。
信憑性はおまかせします。
投稿: 一色靖 | 2011年6月14日 (火) 13時47分
名前なしで投稿している人は、論文とか読んだことないのかな?学部レベルでもいいから研究とかしたことないのかな?
生物物理学を専攻していた私には一色さんの方がごくまともな研究者だと思う。少なくとも素人ではない。
「発がんについて知っておきたいこと」や「失敗しない脱原発 - エネルギー技術論のおさらい」楽しみにしています。
投稿: phi | 2011年6月25日 (土) 21時08分
小出裕章氏に関して調べてみると、
原子力基礎工学研究部門 助教とある。
教授 >> 准教授(旧助教授) >> 助教(旧助手)
らしい。
教授でも、助教授でもない方が
騒いでいるだけだが、皆そこから勘違いww
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/index/kur.html
投稿: Y | 2011年6月29日 (水) 19時51分
はじめまして。突然失礼いたします。
この記事に大量にアクセスがあることでご心労をおかけしているということをtwitterで拝見しました。
ですが、実はアクセス元と思われる記事を書いたのは私でして、そこではこの記事を肯定的に引用させて頂いております。そのことをお伝えすると共に、ご迷惑をおかけしたことをお詫びするために参りました。
問題の記事は
http://anond.hatelabo.jp/20110709015539
でして、一部反原発派の語り口を批判するためのものです。その中で、小出氏が昇進できないことは「迫害」のためでないということを説明するためにリンクを張らせていただきました。
そういう趣旨ですので、どうぞよろしくお願いいたします。また、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
なお、原子力あるいはプラント工学など一般に関して、一色様のブログ・ツイートは日々学ぶ糧にさせていただいております。技術者の端くれとはいえ、こうした分野に全く無知な私にとっては非常に刺激の多いもので、無料で知識を提供していただけていることは本当に素晴らしいことと感じます。この場を借りて感謝申し上げます。
投稿: 匿名ダイアリー記事著者 | 2011年7月10日 (日) 01時04分
匿名ダイアリー記事著さま
いえ~別に迷惑では無いですよ。
ただ、2ヶ月も前の記事が、突如、一日に500訪問者超えしたので、気味が悪くなっただけです(苦笑)
そういうことでしたか。
投稿: 一色靖 | 2011年7月10日 (日) 08時20分
科学技術の問題ではあるけれど、大学として取り組みが難しい問題というのは、あるとおもいます。基本的に批判というのは評価されない。ニセ科学批判なんかで世の中の怪しげな言説を批判することも、まったく業績にはならないので、ボランティアベースになってしまう。そして、一部の奇特な人だけが残ることになる。
原発は全体として大学の学問として終わっていたりしますから、推進派にしても然り。
http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/faculty/professors/MuneoMorokuzu.htm
この先生の業績を見ても、邦文の業界紙に書いているだけですが、東電からお金を引っ張ってきたおかげで特任ではあるが教授なわけです。
質の高い批判を出せるようなシステムの構築、外部資金と研究倫理の問題は、今回の事故を通じて大学や公的研究機関への課題として提示されたと感じています。
投稿: とくめい | 2011年7月10日 (日) 14時46分
とくめい様
何かへの批判が評価されないということはないですよ。
小出氏はそういう理由で、研究者として現在のポジションにいるわけではないと思います。
自分のレビューは掲載してくれてるんだから、保健物理に堂々と査読論文をねじ込んで掲載までもっていけるはずです。
そもそもそういう、真面目な仕事を全くやってないから、評価しようにも業績が無さ過ぎだと思います。
人事上で不遇をかこったとしても、それは業績を出してから言うべき事で、仕事してないのに、不遇や弾圧といっても、仕方ないと思います。
投稿: 一色靖 | 2011年7月11日 (月) 09時57分
一色靖様
お返事いただきありがとうございます。
小出氏個人について、そういうことはあるかもしれません。ただ、そういう彼が「第一人者」になってしまう構造もあるのではないかと思うのです。
いわゆる「盛んな」研究分野においても、丁寧な査読をしてくれたり、学会でしっかりした意見を述べてくれる先生は、かなり貴重だったりします(私の分野だけかな)。批判に力を割き、なおかつ、しっかりしたキャリアパスを手に入れるのは、かなりの努力や運を必要とするように見えます。
ただ、下記URLにあるような大学以外の仕事としたほうがうまくいくかもというのは考えどころです。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110404-OYT1T00076.htm
投稿: とくめい | 2011年7月11日 (月) 13時49分
どうにも不思議なのは、このエントリーでは、小出氏がある地域に「住めない」という評価を下せるだけの、専門判断能力と確かな経験を持っているかどうか、を問うています。
そして、様々な経緯からして、上記のような評価を下すには、ほぼ素人と変わらない、つまり、そのような能力に欠けている人が、「住めない」と評価している、ということを、書いています。
ところが、原発と反原発という構図がある、そしてその中で小出氏は冷遇されている、それが今の結果だ……というような論調のコメントが続くようです。
研究者が、研究者たる仕事をしてない、と言っているだけなので、その反証なら、そんなことはないこんな風に仕事をしている、と示せばいいだけだと思うのですが。
特に、同僚の今中氏のレポートにも目を通してない疑いがあるのは、かばいようがないと思いますよ
投稿: 一色靖 | 2011年7月11日 (月) 15時12分
> 問題は、どのような論調であれ、科学や技術が、検証されない、あるいは他者の検証を求めないことの危険性なんですよね。
そうですね。検証されない科学技術がどんな結果をもたらすかは福島で明らかになったように思います。いや、住民は死ぬリスクがほんのちょっと無意味に上がったくらいで済んだのだから、現場の技術者様の奮励努力の素晴らしさが明らかになっただけなのかもしれませんね。
こちらのブログ記事をいくつか拝見しましたが(ツイッターは見ておりません)、反・反原発にはずいぶん熱心でいらっしゃいますが、原発運用の問題についてはおざなりなように感じます。
爆発しても住民が負うリスクとしては大したことないレベルの事故に留まっているのだから原発運用はこれで正しい、順次脱却していくにしても今はがんがん動かしても構わない、万一地震でまた爆発しても問題ないというお考えでしょうか? あるいは査読論文を小出氏よりもたくさん書いている助教授様や教授様が推進してきたのだから、たかが助手の小出氏の主張よりはよほど信用できるというお考えでしょうか?
この記事のタイトルにあるように、日本の科学技術の質は問われていると思います。
正直、爆発前は、政治家がアホでも官僚が無能でも経営者がクズでも学者が曲学阿世でも、現場の技術者は自分の安全だってかかっているのだしちゃんとやっているのだろうと思っていました。日本列島の上に建てているのですから、地震や津波が襲った場合の(共産党議員が数年前に指摘していたような)問題点は、上が無視しても現場レベルではきちんと対処しているのだろうと思っていました。
それがこの有様で、技術者様への信頼はいささか低下しています。俺らが信頼して危険な施設を託していたはずの相手は、実は機関銃をおもちゃにしている猿と大差ない程度の存在だったのではないかと。こんな連中に全国五十以上の物騒な施設を任せたままでいいのかと。
しかしあるいは、こんな風に考えてしまうのは、野党幹事長様のおおせのごとく集団ヒステリーなのかもしれませんね。近隣住民はほんの少し早死にする確率がごくわずか余分に高まっただけなのですから。その程度の、原発の近くに住んでいればあって当然のリスクごときでうろたえるから、たかが助手の小出氏の言にうまうまと乗せられてしまうのだと、一色様が私たち愚民どもに対してお嘆きになるお気持ちも、多少は想像できるつもりです。
> ぼくは原発推進でもなんでもなく、ただ、実のある脱原発は、少なくともああではないとは感じます。
>
> きちんと生命安全も含めた科学技術の俎上に乗せて議論はできるはずなのです。
お説ごもっともです。査読論文をたくさん書いている立派な業績のある方々による「実のある」脱原発の議論には興味があります。ところでそれは誰がどこでおこなっていて、政治や社会にどう働きかけているのでしょうか? それとも実際にはまだ誰も議論などしていなくて、現実の運動はうさんくさい京大助手の好きにさせて、皆様はその駄目な脱原発が頓挫する様を高みの見物と洒落込んでいるのでしょうか?
投稿: K | 2011年7月11日 (月) 15時51分
Kさま
原発の是非という踏み絵を踏まないと何も言えない、という状況が4月からずっと続いていますが、趣味で書いているブログに何から何まで言及する義務があると思えないのですが。
> 爆発しても住民が負うリスクとしては大したことない
> レベルの事故に留まっているのだから原発運用はこれで
> 正しい
そんなことは言ってませんね。福島第一原発事故は起こってはならない重大な事故です。
ただ、福島第一が今の状況に至ったのは、原発全体が共通して抱える構造的問題が全てとは考えてません。
同じ津波を被った隣の福島第二との状況が違いすぎます。
PSM上の致命的な見落としがあったのだと見ています。
原発の安全性を問うなら、一つ一つの設備についてPSM体制の脆弱性を分析していかないといけないのではないでしょうか?
> 一色様が私たち愚民どもに対して
そういうことはどこにも書いてないですよね。他の人たちをそのような観点で見てない事は、はっきり申し上げておきます。
> 「実のある」脱原発の議論には興味があります。ところでそれは
> 誰がどこでおこなっていて、政治や社会にどう働きかけているの
> でしょうか? それとも実際にはまだ誰も議論などしていなくて、
> 現実の運動はうさんくさい京大助手の好きにさせて、皆様はその駄目な
> 脱原発が頓挫する様を高みの見物と洒落込んでいるのでしょうか?
エネルギー問題に関わっている研究者や技術者にとっては、原発か反原発かというのは、原発関係者の人たちでやってきた、一部の争いという感じです。
日本は、エネルギーセキュリティという、もっと深刻な40年来の急所をかかえていて、日本が将来も存続できるかどうかがかかっています。
その中で化石エネルギーの燃料分散、新エネルギー開発までの繋ぎ期間の短縮の努力、といったエネルギー転換をしているのが今の日本でしょう。
脱原発も、それだけ切り離して、原発をやめるかどうか、という議論はできないと思っています。他のエントリーでも触れているように、原発か否かということだけ独立してエネルギー問題を、少なくともぼくは考える事はできないです。
「誰がどこで」ですが、日本のエネルギーをどうするか、という問題でしたら、メディアがぜんぜん取り上げないだけで、大昔からエネルギー学会やエネルギー資源学会で、現実的な議論がされてきてますし、「エネルギー白書」も毎年ネットでタダで読めるようになっています。
投稿: 一色靖 | 2011年7月11日 (月) 16時29分
ご返答ありがとうございます。
> 原発の是非という踏み絵を踏まないと何も言えない、という状況が4月からずっと続いていますが、趣味で書いているブログに何から何まで言及する義務があると思えないのですが。
大相撲を語るブログで原発の是非について聞こうとは思いませんが、反原発の小出氏やあるいは速やかな反原発への動きそのものを批判する方に対しては「そもそもあなたはどう考えている上でそれらを批判しているのですか?」と聞きたくなってしまいます。今後も原発を推進して甘い汁にありつこうとしている人から、原発の段階的廃止には賛成でも性急では困るという人まで、色々な可能性が考えられますし。
言ってないことは聞くか推測するしかないわけで、あるいは勝手に推測した方がいいのかもしれませんが。
> 日本は、エネルギーセキュリティという、もっと深刻な40年来の急所をかかえていて、日本が将来も存続できるかどうかがかかっています。
「もっと」というのは、「福島第一の今回の事故や高レベル放射性廃棄物処理なども含む原発全般に関する問題」よりもっと、ということでしょうか。なるほど、大所高所から物を考える研究者様や技術者様にかかればやはりあれしきは優先順位の低い問題だと。
> 「誰がどこで」ですが、日本のエネルギーをどうするか、という問題でしたら、メディアがぜんぜん取り上げないだけで、大昔からエネルギー学会やエネルギー資源学会で、現実的な議論がされてきてますし、「エネルギー白書」も毎年ネットでタダで読めるようになっています。
ご教示ありがとうございます。さっそく最新版の「エネルギー白書」に目を通してみました。
脱原発の議論については微塵も触れられていないように思えましたが、私の探し方が悪いのでしょうね。
また
「原子力施設は、地震、津波等に対しても、その施設に応じて十分な対策がなされています。」
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2010energyhtml/3-3-2.html
という素晴らしい記述を見て安心しました。さすが業績のある人たちの現実的な議論は違いますね。
投稿: K | 2011年7月11日 (月) 18時22分
Kさま
結局、言葉尻をとらえて、好きなように揶揄されるのであれば、何をお答えしても同じになるようですから、質問するまでも無く、お好きに振り分けて下さい。
これをもって、お返事はひとまず最後とします。
エネルギー白書には他にも色々書かれていませんか?「脱原発」と単語で明言されてないと納得できないという事ですか?原発単一依存に向かうようなエネルギー体系の流れになっていますか?
日本はエネルギー需要が増える中、実質的な原発依存度は下がり続けてます。その分、火力頼みになっていますが、
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2007energyhtml/html/3-6-1-2.html
ほんとに原発だけに頼るのなら、40年もかけて原油の備蓄を190日分まで上げてくるということは、やらないでしょう。
新エネ開発も70年代の基礎研究から技術開発を積み重ねてきているから、いま、個人が家庭にソーラーを設置できるところまで来ているし、震災がなくても、もともと、これを2030年に、実用電源の一角になるよう育ててきているはずです。
原発から過剰依存しないエネルギー構造に向かおうとしているという風に読めますが……。
こういう準備も進めなければ、やめるやめない、という議論もできないと思います。
原発を除くエネルギー自給率たった5%しかなく、孤立した島国では、呆気なくエネルギー切れを起こしてしまうでしょう。一億三千万人もいる国では、電気が足りなくなると、人が直接死んだり、死にやすくなる社会になると思います。
投稿: 一色靖 | 2011年7月11日 (月) 19時03分
ご返答ありがとうございます。この書き込みへのご返答は不要です。
仮に脱原発あるいは反原発で一致していても、「放射能を警戒して移住すべき」という意見はそこに住み続けると決めた人への攻撃と受け取られかねず、「放射能は大したことないから気にせず住み続けて問題ない」という意見はそこから去った人や心配する人への攻撃になりかねず。
さらにそこに事故を過小評価させたい原発推進側の人間が「あの程度の放射能は大したことない(だから逃げた人間は臆病者でその後の生活に苦労しても自己責任だし、そこに住み続けてガンになっても因果関係なんてはっきり言えないから電力会社や国に補償の責任なんてない。ついでに言えばまたどこかで同程度の事故が起きても別に構わないだろう、すぐ死人が出るわけじゃないし、煽っただけの俺が重い責任を問われるわけもないし)」なんて底意を忍ばせて議論に混ざり始めたら、などと疑い出すと、なかなかの疑心暗鬼が楽しめてしまいます。まあ、訊ねたくらいで本音までわざわざ教えてくれるわけもないでしょうが。
「踏み絵」を踏まされるようで苦痛に感じたとしたら、申し訳ございません。
ただ、2007年の白書を元に
> 原発から過剰依存しないエネルギー構造に向かおうとしているという風に読めますが……。
という推定を導いていることには疑問があります。
私が目を通した最新の2010年の白書では
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2010energyhtml/3-3-1.html
> 2005年10月には、今後10年程度の間の我が国の原子力政策の基本的考え方等を示す「原子力政策大綱(「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」から改称)」が原子力委員会により策定され、政府は、これを原子力政策の基本方針として尊重し、原子力の研究、開発及び利用を推進する旨の閣議決定を行いました。同大綱では①2030年以降も総発電電力量の30%~40%程度という現在の水準程度かそれ以上の供給割合を原子力発電が担う、②使用済燃料を再処理し、回収されるプルトニウム等を有効利用する、③高速増殖炉の2050年頃からの商業ベース導入を目指す、等の基本的方針が示されています。
> この大規模な代替炉建設需要を乗り越え2030年以後も総発電電力量の30~40%程度以上の供給割合を原子力発電が担うためには、
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2010energyhtml/3-8.html
> 2030年以降においても、発電電力量に占める比率を30~40%程度以上とすることを目指すため、高速増殖炉サイクルの早期実用化、既設軽水炉代替へ対応する次世代軽水炉の開発、軽水炉技術を前提とした核燃料サイクルの確立、放射性廃棄物対策等の技術開発を推進します。
と繰り返されており、20年後も40%とはかなりの依存であるように思われます。まあ、もしかしたら数字の解釈次第ではこれでも「過剰依存しないエネルギー構造」と言えるのかもしれませんが。
投稿: K | 2011年7月12日 (火) 01時29分
レスは不要です。
> ぼくは、科学者が極めて慎重にならなければいけない「人々の人生への介入」にとても大胆であることに、驚いています。
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=23695
> 訂正:質疑応答の「100マイクロシーベルト/hを超さなければ健康に影響を及ぼさない」旨の発言は、「10マイクロシーベルト/hを超さなければ」の誤りであり、訂正し、お詫びを申し上げます。ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありません。
三月二十一日の福島での講演会で数値を一桁間違えることは、ずいぶん大胆な「人々の人生への介入」に見えます。少なくとも「極めて慎重」とは間違っても言えないと私は思います。この言葉を信じて子供を外で遊ばせた親御さんもいるでしょうに。
いや。論文を書いていない小出助教のように「住めない」と迷惑な宣言をしたわけではないし、もし将来子供が病気に罹ってもそれが放射能由来かどうかは証明しようもないから所詮は当人の不運に過ぎず、誰が責任を取る必要もなく、つまり山下教授は人々の人生へ介入したわけではない……という考えも成り立つのかもしれませんね。失礼しました。
投稿: K | 2011年8月17日 (水) 16時38分
はじめまして。興味深く読ませていただきました。
この日記が書かれたのは5月6日だそうですが、
小出氏は事故後に幻冬舎だったか扶桑社から出版された著書の冒頭にて
「弾圧を受けたことはない」と述べております。
その背景についてこの日記のように詳細に語っている訳ではないですが、「弾圧されている」という話については当人が主張したことではないことは確認しておくべきかと思います。
また、
>「誰がどこで」ですが、日本のエネルギーをどうするか、という問題でしたら、メディアがぜんぜん取り上げないだけで、大昔からエネルギー学会やエネルギー資源学会で、現実的な議論がされてきてます
取り上げられることが無かったという根拠をお聞きしたいものですね。取り上げた例があればそのような根拠は直ちに崩壊するわけですが。本当に取り上げるメディアなど存在しなかったら書店にエネルギーの棚が設けられる筈もないし、新聞や雑誌の過去記事検索でその手の記事が引っかかることも無いはずです。勿論、学会についても同様です。「メディア」は昔から科学番組や産業映像の下請けもやっておりますし、査読制度こそ緩い/無いものの専門雑誌を自社系列で発行して議論やデータ提供の場を与えている例はいくらでもあります。それらの記事が政府関係者や議員、メーカー技術者、査読付き論文実績のある学者に原稿を依頼しているのもよくある風景です。世間一般での議論が深まる=第3者機関による査読論文を輩出するということにはならない(ついでに言えば新技術の開発・普及もそう)訳ですから、メディア全体の姿勢としてそういう側面は正当に評価するべきものです。その中には勿論小出氏への批判もあります。
貴方に限ったことではありませんが、「ぜんぜん」といった裏付けのない安易な決め付けをされることはお止めになった方が宜しいかと思います。それでは貴方が批判している「脱原発ブームに乗っかった人達」とやらと何にも変わりませんよ。批判したい社会モデルを安易に脳内創出し、それが日本のすべてだとレッテルを貼っているだけですね。他の方が貴方に選民意識を感じられているとしたらその根源には上述のような意識があるからでしょう。
投稿: 岩見浩造 | 2012年2月 5日 (日) 03時11分
>原発単一依存に向かうようなエネルギー体系の流れになっていますか?
事故前のエネルギー基本計画では事故直前3割程度で推移していた電力需要での依存度を53%にするとされていました。また、事故直前に商用原発のサイト数は日本で15か所ほどありましたが、過去に立地を断念した個所、事故直前に立地を検討していた個所は10サイト程度はありましたし、過去の雑誌記事などを読むと1990年代に設備容量7000万kW等、現実の推移より明らかに過大な目標が散見されます。フランスほどではないにせよ、関電程度かそれ以上の依存を全国レベルで長年志向していたことは明白でしょう。その中には福島7、8号機計画(F1は最初から8基の敷地を用意)や4基の建設を検討していたこともある浪江、小高のようなサイトもある訳で、仮にこれらが70~80年代に当時の技術レベルで完成していた場合、今回の震災で被災した原子炉は福島県内だけでも10基ではなく16基になります。その意味では、これら6基の原子炉建設を阻害した反原発運動や運動まではいかなくても原発に対する否定的な心理が、結果として惨事拡大の回避に役立ったことは否定できないでしょう。
一方、今回の事故に対してネット上では脱原発運動を批判するあまり、「反対運動のせいでF1の事故対策が不十分だった」かのような珍論が見られる。実際にはF1はこれ以上ないほどの「模範的」な立地自治体に建てられており、成田のような暴動や過激派が跋扈しておいそれと敷地内の工事も出来ない状況ではありませんでした。諸装置の改修は随時計画して東電の意のままに実施することが出来、90年代に増設された非常用電源は5,6号機を炉心溶融から救った訳です。つまり、事故の原因を反対運動や脱原発運動に求めることは完全に的外れであることも指摘出来、むしろ彼等の警告を無視して追加対策を十分に検討しなかった東電や国の当事者の責任が一層際立つ訳です。それは理解しておくべきでしょう。
投稿: 岩見浩造 | 2012年2月 5日 (日) 03時37分