「もらい泣き」「自分泣き」……ひとりじゃない
ひとりじゃないという事を知ったとき、どんなに安心することか。
人間は本当は弱い動物。そして優しい動物。それを隠して生きている。弱気を奮い立たせ、泣きたいときも我慢し、頑張っている。それが人間だ。取り乱したり、動揺したり、焦ったり、挙げ句にはわんわん泣いたり……そういうことは、この社会で生きて行くには隠し、抑えつけ、耐えなければならないと思ってしまう。
そんな弱いのは自分だけだ、恥ずかしいことだ。周りを見ると、そんな風に感じてしまう。本当は、みんな同じで、弱い自分を抑えつけているんだけど。
ストレスが次第に溜まっていく。本当の自分と、仮面の自分を使い分けるのは、心に負担がかかるからだ。
そんな、ギリギリで一杯一杯ののときに、側にいる人がわんわん泣きだしたら……「もらい泣き」した経験のある人はありませんか? 一緒になって泣いてしまう。二人で泣き濡れて、ティッシュの箱が空になる。そんなことありませんか?
ぼくは、あれは「もらい泣き」じゃないと思う。人間という動物の優しさが、なぜ泣いているのかを思いやって、それに人間という動物の弱さ――普段、抑圧されている弱さが、泣かせるんだと思う。「もらい泣き」=「泣くのをもらう」んじゃない。
相手が泣くのを見て、「あ、泣いても良いんだ。抑えつけてばかりじゃなくて、泣くのもアリなんだ」と思い、自分の中の涙を解放するんだと思う。「もらい泣き」じゃなく「自分泣き」だ。弱くてもいいんだ。取り乱してもいいんだ。動揺してもいいんだ。焦ってもいいんだ。抑えつけてたのは自分ひとりじゃなかったんだ。
それを気づかせてくれる、わんわん泣いている友人やパートナー。それは得難い存在だ。大事にしよう。弱い人と一緒にいよう。泣きたいときはいっしょにわんわん泣こう。抱き合って泣こう。
人間は弱い動物。自分がひとりじゃないという事を知ったとき、どんなに安心することか。
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そして心が少し軽くなり、自分の中でパンパンに張り詰めていた空気が少し抜けて楽になる。もし、そんな友人がいるなら、大事にしよう。
だから、自分に「遊び」を持たせてくれる愉快な友人は大切にしよう。


眼中にない。


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