判らない? 判れない?
知ることに力は必要ないけど、判るためには力が必要。馬を水辺まで連れてくることはできても、水を飲ませることはできないって故事があるでしょ。あれです。
判ってもらうには、自力ではどうにもならない。判ってもらおうと思ったら、その人をその気にさせなきゃだめです。判らないのではなく、判れないんだから。
それで、現実にそういうことができるかと言うと、普通は、かなり難しい。なぜなら人は、強いられたり、魅力を感じないかぎり、簡単な方を選択するから。「鬱病が起きた経緯や、重い軽いや、何かごちゃごちゃ言ってるけど、取りあえず "鬱な人" でくくっちゃえ」とか「鬱を言い訳にしているけど、はっきり言っちゃうと怠け者じゃん」というのに代表されるような、視点や発想だ。
そのような考えは、差別や迫害につながるから、放置してはいけないんだけど、実態は見ての通り。
すなわち、残念なことではあるけど、世の中では、学校にいじめがあり、社会では差別や迫害があ る。
そして、それは、たとえば「秋には社会復帰できそうだ」などという、こっちの都合なんて構ってくれない。
だから、そういうものがある、という事を前提に、生きていかなければならない。
よく、「鬱病の人に『頑張れ』は禁句」などと言うけど、現状では頑張って生き抜く力を持てない人は押しつぶされる。家族やパートナーは、確かに大きな助けになってくれるけど、まずは自分自身が強くならなければならない。自分の一番の味方は自分だから。
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